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長崎旅行2日目その2

軍艦島が見えてきました。
先に左側の席の人がよく見えるように船が動いたので、写真を撮らずに説明を聞きました。

軍艦島

その後に軍艦島が軍艦に見える場所まで船が移動しました。軍艦に見えますよ。
小さな島にたくさんの建物あり、それが軍艦のように見えるのには驚きます。

仕上工場

炭鉱で必要な資材の製作やメンテナンスをする仕上工場です。

30号棟

1916年(大正5年)に建てられた30号棟です。
日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートです。
大正時代に7階建てのアパートを建てていたことに驚きます。
外側は波や風が激しかった為、、口の形になっていて、吹き抜け部分で採光をとっています。

軍艦島は人口密度が世界一だったから、高層アパートがたくさん建っています。
6畳のワンルームで鉱員が住んでいました。、
ガラスがなくなって、パイプや柵が壊れていて、放置されているのがわかります。

31号棟

30号棟の隣にあるのが31号棟です。
1957年(昭和32年)に建てられた鉱員アパートです。
防波棟の役割があったので、海側の窓が小さくなっています。共同浴場、郵便局、理容室があります。
建物にはベルトコンベヤーが通る穴が開いていて、ここからボタという炭鉱から出た石などを海に捨てていました。


23号棟

23号棟は泉福寺がありました。木造だったので崩壊しています。
狭い島だったので、火葬場やお墓は近くの中の島にあったそうです。

貯水槽

貯水槽が高台にありました。船で運ばれた水をここに溜めて、大切に使われていました。
軍艦島の炭鉱は24時間稼働していて明るかったのですが、閉山後は真っ暗になってしまったので、灯台が設置されました。
現在は2代目の太陽電池で動く灯台です。

3号棟

高台に建てられているのは、3号棟です。
ここは、職員アパートで、部屋にお風呂が最初に設置されたアパートです。
鉱員アパートにはお風呂がなく、共同浴場を使っていました。

51号棟

右側の建物は51号棟です。防潮棟の役割があり天候が悪い日は上の方まで波がきました。
鉱員は大変です。
渡り廊下でつながっているのは16号棟です。
鉱員は給料を日当でもらっていたから日給住宅と呼ばれていました。

59、60、61号棟

59、60、61号棟です。鉱員アパートで、地下はつながっていて生協は共同浴場がありました。
海側は波が激しいので窓がありません。

66、67号棟

66、67号棟は独身寮です。
右側の66号棟の細長い菅のようなものは、トイレの菅です。そのまま海へ流していました。

68、69号棟

68、69号棟です。右側の白い建物は隔離病棟で、左側の建物は端島病院です。
病院内にはカルテや薬品がいまだに残っているそうです。

ちどり荘

ちどり荘は教員住宅で、メゾネットタイプのアパートでした。
学校のすぐ近くに先生達は住んでいました。

65号棟

65号棟は鉱員アパートで、軍艦島内で一番大きな建物です。300世帯も住んでいました。
屋上には幼稚園があったそうです。

長くなったので次へ。


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【 2014/08/06 】 旅行 | TB(0) | CM(0)
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